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INTERVIEW

「興味」に突き動かされて――日本スポーツ栄養協会理事長が振り返るキャリア

鈴木 志保子先生(日本スポーツ栄養協会理事長・日本栄養士会副会長)

今回のインタビューは、日本スポーツ栄養協会理事長・日本栄養士会副会長である鈴木 志保子先生(管理栄養士・公認スポーツ栄養士、神奈川県立保健福祉大学教授)。実は栄養士と無縁の一般企業からスポーツ栄養の世界へと進んだ、異色の経歴の持ち主です。そんな鈴木先生を突き動かしてきたのは、常に現状に満足しない「興味」の追求でした。

 

【本当にやりたいことのために】

幼いころから好奇心が旺盛で、とりわけ人間の身体に興味津々だったという鈴木先生。

鈴木先生「幼いころから親戚の間で『なんでなんで小僧』って呼ばれていました。何でも『なんで?』って聞くから。その中でも人間の身体が一番不思議でした。

その頃実家が箱根駅伝や東京国際マラソンのコースの近くで、毎年、年4回、沿道で応援していたんです。『どうしてあんなに痩せている人が早く走れるんだろう?』って、ずっと不思議でならなかったんですよ」

その後自身でもゴルフやテニスといったスポーツに親しみ、スポーツ栄養の世界に進もうと決意した鈴木先生。しかし、そこで最初の壁が待ち受けていました。

鈴木先生「スポーツ栄養がやりたくて栄養学科に行ったものだから、実は調理実習があるなんて知らなかったんです(笑)。私は手荒れのアレルギーがあって、調理実習が満足にできなくて。管理栄養士の資格は取ったのですが、一般企業に就職することになりました」

就職した企業では、飛び込み営業に忙しく回る日々の連続。仕事の成果は上がっていたものの、少しずつ「本当にこれでいいのか」という疑念が頭をもたげてきたといいます。その中で、ある偶然の出会いが鈴木先生のキャリアの転機になりました。

鈴木先生「ある日営業でたまたま行ったのが東京顕微鏡院(健康診断事業や食品衛生などの試験検査を行う一般財団法人)だったんです。そこで『実は管理栄養士で、これからどうしようか考えているんですよね』って話をしたら、『それならうちに来なさい』って言ってくださったんです」

偶然の出会いから突然開けた、管理栄養士としてのキャリアの第一歩。東京顕微鏡院では健康診断の解析や生活習慣病に関わる栄養指導を行っていましたが、それでも次第に課題を感じるようになったといいます。

鈴木先生「栄養指導をしていて、『ただの鈴木さん』の話なんか誰も聞いてくれないことに気付いたんですね。確かに管理栄養士ではありましたが、管理栄養士自体はたくさんいますよね。自分にしかない強みをつくらなければならなかったんです」

そんな中、大学時代から希望していた大学院の進学を本気で考えるようになり、鈴木先生は母校である実践女子大学の大学院修士課程へ。壁にぶつかりながら「本当にやりたいこと」を突き詰めた末の、思い切ったキャリアの転換期でした。

 

【今でも忘れられない悔しさ】

実践女子大学の修士課程を卒業後、鈴木先生は東海大学の博士課程へ。生化学を専攻しつつ、アスリートへの栄養サポートをスタートさせていきました。

鈴木先生「はじめが、ある大学の女子陸上部だったんですけど、最初がもう大失敗で・・・。私が計算した通りに食べてもらったら、半分の選手が体重急増、もう半分が下痢だったんです。それでよく分からなくなって、しばらく観察ばかりしていたんです。

そうしたら無月経の選手だったり、疲労骨折を繰り返してしまう選手だったり、女性アスリートならではの問題がいくつも見えてきたんです。答えのない課題がたくさん出てくる中で、女性アスリートの研究に引き込まれていきました。自分の中での課題を一つひとつ検証していく中で、競技力も上がっていきましたね」

博士号(医学)を取得後、鈴木先生は32歳の若さで鹿屋体育大学の助教授に就任。異例の人事に白眼視されることもあったといいますが、それ以上に体育大学ならではの面白さに引き込まれていったといいます。

鈴木先生「体育大学ですし、スポーツ栄養の世界の人間にとっては天国みたいなところでした。実は、 選手全員の食事調査と面談をやったんですよ。毎日のように運動部の練習を見学して、他分野の先生たちに話を聞いていました。今考えると『変な人』に思われていたかもしれませんが、毎日勉強になることばかりで、本当に楽しかったです」

研究や学生の指導に集中できる環境での、安定した日々。しかし鈴木先生の脳裏には、ある言葉が引っかかっていました。

鈴木先生「25歳の時に、あるベテラン栄養士から『アスリートなんかに指導して何が楽しいんだ』って言われたことがあるんです。元々『栄養士は健康でない人に助力するもの』という考え方があったとはいえ、あまりにひどい言いかたでした。

でも、その時に私が言い返しても『ただの鈴木さん』の言葉にしかならなかったんですよ。だから『今に見ていろ』って。必ずスポーツ栄養の価値が認められる社会にしてやるって、その時心に誓ったんです」

結局、鹿屋体育大学に赴任してからわずか3年で、鈴木先生は新設の神奈川県立保健福祉大学に准教授として転任することに。学長は中村丁次先生(現・日本栄養士会会長)。言わば「栄養士界の本丸」での、鈴木先生の挑戦が始まりました。

 

管理栄養士の卵たちの未来をつくる】

神奈川県立保健福祉大学の特徴は、徹底した現場主義。事業所での実習期間が他の養成校と比べて長く、現場をよく知る管理栄養士を育てられることが強みといいます。

鈴木先生「現場で活躍できる人財、管理栄養士で一生生きていく人財を育てるつもりでやっています。また『もし就職先の給料が安かったとしても、どうしたら給料を上げられるか自分で考えられる』ことも大切にしています。どうしたら栄養士の価値を高められるか、自ら行動を起こしていける栄養士ですね」

現在、開校から約20年が経過。1期生たちは今や30代後半となり、栄養士界の中核として活躍しています。現在は教え子が勤務する病院や介護施設で学生の実習を受け入れるなど、よい循環が生まれています。

一方、栄養士養成校の教員として後輩たちの育成に携わっていく中で見えてきた課題もあるといいます。

鈴木先生「あくまで一般論ですが、議論の中で批判されることに慣れていない学生が増えてきているような気がしています。言わば、身の丈に合った完璧主義なんですよ。

私は『仕事に完璧はない』と考えているので、議論の中でよりよくなっていくことはたくさんあると思いますし、特にこれからの栄養士には『自ら提案すること』が不可欠になっていきます。失敗を恐れてはいけないんです。

私も授業やゼミではたくさん学生の考えを聞いて、議論することを大切にしています」

そうして後輩たちの育成に携わる一方、いま鈴木先生がもっとも考えているのは「栄養士という仕事そのものの未来」です。

鈴木先生「今の大学に来てからは、自分からどんどん動くようになりました。栄養士という仕事が果たして今のままでいいのか、疑問を持つようになったんです。もっと時代の流れを読みながら、働き方自体を変化させていかなければならない気がしていて。

もちろん自分から動く中で周りの人に恵まれてきた実感はありますが、日本栄養士会の理事や日本スポーツ栄養学会の仕事など、栄養士の価値を高めていけることには自分から手を挙げています」

常に現状への課題を感じながら、突き動かされるようにして走り続けている鈴木先生。栄養士という仕事の可能性を探りながら、栄養士の卵たちの未来をつくることに全力を注いでいます。

 

【未来を考える栄養士へ】

現在も大学でゼミを持ち、日々栄養士の卵たちと熱く議論を交わす鈴木先生。接する学生たちにもさまざまな個性があるといいます。

鈴木先生「進路相談もよく受けていますが、『よく噛むと味が出る』タイプの学生は受託給食会社に向いていますね。要はすぐに受け入れられるというよりも、よく理解できるとかわいがられる人。実は内に秘めた面白さがあって、前を向いて仕事ができる人は、受託給食会社に行くといっそう成長できると思いますよ。

また受託給食会社も企業体として、常に社会の流れについていかなければ取り残されてしまいます。その流れを自ら敏感にキャッチして、自分自身の学びにしていける人が、これからの受託給食会社には不可欠です」

とりわけ、公認スポーツ栄養士に対する資格手当の付与を開始したばかりのLEOCには、期待するところも大きいといいます。

鈴木先生「栄養士の価値を高めるという意味ですごく大きなニュースだと思っていますし、本当に感謝しています。私自身、受託給食企業さんにさまざまなご提案をさせていただくことがあるのですが、しっかりと受け止めてくださるのはLEOCさんですね。まだ栄養士の価値向上のためにできることはたくさんあると思いますし、ぜひ一緒になって進めていければと思っています」

現状に課題意識を強く持ちながらも、「もっとよくできる」と信じて突き進む鈴木先生。

鈴木先生「若い方にはぜひ、『今を考える』のではなく『未来を考える』仕事をしてほしいなと思います。これからの社会の変容を見据えて働くことができれば、活躍の場は広がるし、自分でもワクワクできることがいっぱいあると思いますよ」

鈴木先生が考える「栄養士の未来」については、後編で詳しく特集します。

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