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INTERVIEW

NSTと駆ける〜飽くなき好奇心がつないだ出会いの数々〜

東京医科大学病院 栄養管理科科長・宮澤 靖先生

今回のインタビューは、東京医科大学病院 栄養管理科科長・宮澤 靖先生。医師や管理栄養士のみならず、薬剤師、看護師、介護福祉士など、患者の栄養管理を多職種の視点からサポートするNST(Nutrition Support Team, 栄養サポートチーム)の仕組みを国内へ先駆的に取り入れ、医療における栄養管理の重要性を広く知らしめたキーパーソンとして知られています。

患者のよりよい治療・回復のために、栄養の側面から貢献していく――その熱い想いを持ち、今も最前線を走り続けている宮澤先生。その先生がこれまで歩んできたキャリア、そしてその節目にあった出会いの数々に迫りました。


※インタビュー時は全員マスク着用の上、三密を避けた環境で実施しております。

【人生を変えた、2つの出会い】

今や「NSTと言えば宮澤先生」と言われるほど、栄養の世界で知らない人はいない宮澤先生。ところが新卒のころの姿は、現在からはまるで想像できないような状況でした。

宮澤先生「長野県のある病院に勤務していたんですが、実は7年間、厨房の仕事しかできませんでした。特に最初の3年間の仕事は、配膳・洗浄・ゴミ捨て、それだけ。献立作成すらやらせてもらえなかった。ほとんど調理師のような状態でしたね。

『もう少し患者さんの役に立つ仕事ができるんじゃないか』と思っていたんですけど、それができる術も知らないし、そもそも誰に聞けばいいかもわからない。悶々としていましたね」

 

何かを変えたい日々の中で、小さなきっかけとなったのは、持ち前の好奇心でした。

宮澤先生「臨床の道に進みたいと思ったのは、配膳の仕事があったからなんです。小さな意識の違いかもしれませんが、配膳の時にただのデリバリー係になるのか、医療従事者のひとりとして行動するのか、常に自分に問いかけていました。

ですから、食事をとっている患者さんに『お加減いかがですか?』と訊いたり、病棟内を見回して知り合いの看護師さんにいろいろ質問したり。とにかく、好奇心を持って仕事に取り組んでいました」

 

小さな好奇心から膨らみ始めた「臨床の道へ」という想い。2つの出会いから、その道が大きく開けていきました。

宮澤先生「1人目は、たまたま院内で仲良くなったアメリカ帰りの脳外科の先生です。

ある懇親会で『もっと患者さんの役に立つ仕事がしたいんです』と話したら、『アメリカではNSTっていう、医療チームで栄養サポートをする仕組みがあるんだよ』と教えてくれたんですね。その先生が、いくつか現地から文献を取り寄せてくださったんです。

当時は私も英語ができなかったから、必死に辞書を使って読んでいくうちに、だんだん『同じことをしてみたいな』と思うようになったんですね」

 

ところが、当時日本国内でNSTを導入している病院はゼロ。困り果てていたころ、2人目のキーパーソンに出会います。

宮澤先生「2人目は、これもたまたま仲良くなった、ある外資系企業の営業マン。

ある時『NSTっていうのを勉強したいんだけど、日本になくて・・・』と相談したら、『日本になくてもアメリカにはたくさんあるんでしょう?それなら行けばいいじゃない』と言われたんです。

確かにそうだなと(笑)。それから病院を辞めて、アメリカへ留学しました」

 

好奇心を持ち、自分の想いをさらけ出す中で重要な出会いを重ね、一気に開けた臨床への道。飛び込んだ新たな世界で、さらに転機が待っていました。

 

【好奇心を貫き、道を拓く】

仕事を辞め、裸一貫で渡ったアメリカ。ところが当初は滞在わずか4か月、カルテの閲覧権限すらない「ビジター」でした。

宮澤先生「ある日、指導教官に『実は仕事を辞めて来ているので、1年間だけでも置いてほしい』とお願いしたんです。それで、何とか滞在が1年間に延びました。ただしあくまで、指導教官の後ろを付いて回るだけの身分です」

 

そうして8か月が経過したころ、突然教官に呼び出されたといいます。

宮澤先生「はじめは『怒られるのかな』と思っていました(笑)。そうしたら『日本へ帰るのなら、何か資格を取って帰ったほうがいいんじゃないか』と。

実はその資格も2年以上滞在しなければ取れないものだったのですが、その先生が『受験資格は何とかするから、とにかく受けてこい』と言われました。

直前でしたから、勉強はもちろんですが、教授と綿密に面接の戦略を立てて・・・。そうしたら、どういうわけか受かってしまったんですね」

 

そして滞在期間も残り1か月。再び教官に呼ばれ、言い渡されたのはなんと「栄養管理科での勤務」。結果的に宮澤先生は、さらに約1年半アメリカでの実務経験を積み、日本へ帰国することとなったのです。

 

小さなきっかけを積み重ね、大きく道を開いてきた宮澤先生。「チャンスをつかむために大切なこと」を訊くと、次のように語ってくださいました。

宮澤先生「チャンスってね、みんな平等にあると思うんです。それをものにできるかどうか。そのためには、一人ひとりとの出会いを大切にしていくことが重要だと思っています。

今日初めてお会いした方が、もしかしたら僕の人生を左右するキーパーソンになるかもしれない。そう思って接するようにしていますね。

あと、やっぱり希望や夢を持ち続けることは本当に大切だと思いますよ。夢は思っているだけでは妄想でしかないです。夢は叶えてこそ意味がある」


「一人ひとりとの出会いを大切にする」こと、そして「夢は叶えてこそ」という粘り強さ。その強い意志があってこそ、一見偶然のようなきっかけの数々が連なって道となり、日本へのNST導入につながっていきました。


【日本一の栄養サポート環境を構築】

帰国後、宮澤先生は長野県の病院へ赴任。その頃からアメリカでの経験を生かし、栄養科室ではなく病棟に常駐する管理栄養士として勤務しはじめました。

宮澤先生「当時のカルテには、看護・リハビリ・薬・栄養という欄があって、栄養欄には『宮澤先生の指示を仰ぐように』と書かれていました。当時から、そうして治療に積極的に関わる立ち位置を築いていましたね」

 

その後赴任した三重県・鈴鹿の病院では、日本で初めて創設されたNSTに所属する管理栄養士として勤務。

宮澤先生「鈴鹿の時はNST専従でした。朝出勤したら病棟に行って、看護師や薬剤師と仕事をしながら、食事の摂取量や栄養状態のよくない患者さんをリストアップしつつ、栄養ケアのプランを立てて…ということをずっとやっていましたね」

 

そうした革新的な取り組みが注目を集め始めた頃、宮澤先生は再び大きな転機を迎えます。きっかけは一本の電話でした。

宮澤先生「電話を取ったら、小越章平先生(日本静脈経腸栄養学会 初代理事長)でした。僕にとっては雲の上の存在で、正直お電話を頂くだけで緊張するような方です。

そうしたらいきなり『お前、あさって暇か?』と。それで、わけも分からず会いに行きましたね」

 

唐突に呼ばれた高知で伝えられたのは、なんと社会医療法人近森会 近森病院への赴任の打診。きっかけは、近森会の理事長が抱えていたある悩みでした。

宮澤先生「高知県は高齢化が日本で2番目に進んでいる地域です。そこで理事長が常に言い続けていたのは『食べて動くことが高齢者にとって最も大切』ということ。つまり、栄養とリハビリですね。

ところが問題は、栄養士がどうしても厨房業務に追われてしまい、患者さんの栄養管理にまで手が回らなかったこと。そこで僕が赴任する直前に、厨房業務を全面委託にしたそうです。

それでも、栄養士たちに病棟で会うことがなかった。なぜなら皆、厨房業務以外の教育を受けていないので、何をしたらいいか分からないからです。

そこで困っていた時にたまたま出会った小越先生へ相談したら、僕を紹介してくださったとのことです」

 

突然の高知赴任、しかも当初の栄養管理科はわずか4名という状況からのスタートでした。それでもNSTの創設、1病棟につき1名の管理栄養士配属など、近森理事長と共に栄養サポート体制の充実に尽力。
教育体制の整備と共に優秀な後輩たちも次々に輩出し、名実ともに日本一のNSTへと押し上げていったのです。

 

【後に続く後輩たちへ】

現在は東京医科大学病院の栄養管理科科長として栄養管理の最前線を走る一方、後進の指導にも当たる宮澤先生。学生や若手の栄養士たちに対して、どのような考えを抱いているのでしょうか。

宮澤先生「僕が若かったころとは、ずいぶん考え方が変わってきているなと感じています。僕のころは、どちらかと言えば大きな夢を語れる人が多かった。

一方でいまは、きちんとしたキャリアプランを持って、現実的に取り組んでいく人が多い。それはとてもいいことだと思いますね。

ただ厨房業務など、回り道のように見えることを嫌う人も中にはいます。『早く厨房を出て病棟で働きたい』という思いは分かるのですが、栄養の世界はあくまで調理がベースですし、その上で臨床の学びが生きてきます。

そのことを理解して、まずしっかりと基礎を固めてほしいですね」

 

そして宮澤先生の視線は、委託企業の栄養士にも広がります。

宮澤先生「委託企業の栄養士さんは給食管理のプロフェッショナルとして、病院の栄養士をサポートしていただく意味でも、非常に意義のある仕事だと思います。

ただ課題は、厨房業務をこなせるようになった後のキャリアを、どのように歩んでいくのか。企業としても、そこは道筋をつけてあげるべきだと思います。

その点でLEOCさんは、社員食堂や高齢者施設など幅広い現場で更に視野を広げることができます。急性期病院の専門部署(注:ACD, Acute Care Department。大型急性期病院への円滑な業務導入をサポートする部署)など、病院給食のプロフェッショナルとして輝ける場所があるのもいいと思いますね」

 

その上で、栄養管理科であっても委託企業であっても、栄養士としてぶれてはいけない想いがあるといいます。

宮澤先生「医療という視点でも、食という視点でも、大切なのは『一人ひとりの患者さんのため』という想い。私たちにとっては数百食のうちの一食でも、患者さんにとっては三食のうちの一食なんです。そこに魂を込められているかどうか。

特に病院食は、もしかしたら誰かの人生最後のお食事になるかもしれないんです。そのことを考えれば、食と栄養に対する学びは永遠に続くと思いますよ」

 

飽くなき好奇心と誇りを抱き続けたからこそ、すべての経験と出会いがつながり、生かされていった宮澤先生の道のり。

そして宮澤先生は、すでに次なる目標へと走り始めています。

後編に続く

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